スポンサーリンク


上記の広告は一定期間更新のないブログに表示されます。新しい記事を書く事で広告が消す事ができます。

  

Posted by みやchan運営事務局 at

2010年07月29日

”闇の子供たち”

先日、前からいつか見てみようと思っていた”闇の子供たち”のDVDを観ました。



この映画は、賛否両論あるみたいですが、この映画を機に『臓器移植』、そこから見える社会背景について考える機会になったらいいんじゃないかなと思いましたヒ・ミ・ツ

しかし、この『臓器移植』から繋がるいろんなキーワードを探っていると、軽々と『臓器移植』についてブログに書いてもいいのだろうかなどとも思いました。

この『臓器移植』から繋がるキーワードには『脳死』、『人身売買』、『倫理観』、『宗教観』、『搾取』、『南北問題』などなど、素人の私には気軽に立ち入ってはいけない様な複雑な背景が見えてきたのです。

『臓器移植』について調べてて辿り着いたブログ(5号館のつぶやき)に”医療技術が開いてしまったパンドラの箱としての移植医療と、それに付随して起こっている様々なケースについて考えるたびに、手にしてしまった技術の罪深さを感じずにはいられません”とあり、全く同感でした。

『臓器移植』について調べれば調べるほど、正に私達はパンドラの箱を開いてしまったばかりに、後戻りできない状況に自分達を追い詰めてしまっているのではないかと思いました。

もし仮に、何かの理由で自分が『臓器提供』が必要な立場になったらどうするか?

また、もし、自分が『脳死』の状態になった時に、自分の体の臓器をどうしたいか?

パンドラの箱を開けていなければ、そんな事を考える必要はなかったのに。。。


やはり”生への執着”。。。。。その思いが私達にパンドラの箱を開かせてしまったのだろうか。。。ヒ・ミ・ツ


”闇の子供たち”の中でもお金持ちの夫婦の臓器移植が必要な子供がタイへ臓器移植をしにいくシーンが出てきます。

しかし、その提供される臓器は、『人身売買』と繋がってる背景があるのですが。。。

もし、自分がそのお金持ちの夫婦なら、どうだろうと考えると。。。

現代の医療技術で助けられる命があるのなら、助けたいと願うのが本音だと思うのですが。。。

しかし、提供される臓器の背後を知ったら。。。。

この映画自体は、フィクション映画なので、現在行われてる臓器移植が全て人身売買と繋がってるという訳ではなく、正規のルートで得た臓器しか臓器移植が行えない流れになっていると言う意見もありました。

しかし、仮に正規のルートで得た臓器となると、そこで問題になるのが『脳死』の問題だそうです。

『心臓停止』してから得た臓器より、『脳死』で得た臓器の方が新鮮だから、『脳死』認めることで、『臓器移植』を待つ人たちにより多くの『臓器移植』を行える確率も高くなるそうです。


。。。。ヒ・ミ・ツ。。。。。ヒ・ミ・ツ。。。。ヒ・ミ・ツ



そして、”生きる”か”死ぬか”もお金次第の現実。

もし、金銭的に貧しい国に生まれてたのなら、最初からその選択肢はなく、必然の”死”があるだけなのに。。。


最後に、『臓器移植』について調べてるうちに辿り着いたHP(松柏堂医院)にあった言葉でもうひとつ印象に残った言葉がありました。

それは、「移植に象徴される、生=善、死=悪、という感じが単純に徹底してしまうことが恐い」です。

根源的に私達の無意識の中にある”生=善、死=悪”という意識へ辿り着くのではないかと思いましたヒ・ミ・ツ

  

Posted by マロン☆ at 17:45Comments(8)つぶやき