
2010年10月31日
神武さま
今年、宮崎に来て初めて神武さまを見ました。
椰子の木をバックに馬に乗ったお嫁さんや武者の行列は、私にはちょっと新鮮でしたが、今までのお祭りでは見たことのない行列で江戸時代にタイムスリップした感じでた
。
神武さまとは、正式には宮崎神宮御神幸祭という名前で、由来は神武さまを自分のお宮として信仰してた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りする事が出来ないため、「せめて一年に一度御神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが始まりだそうです。
明治四十二年から今のような形式となったと言われてるそうです。

(御獅子・・・御獅子が舞う事で御鳳輦(ごほうれん)が渡御遊ばされる道を祓い清めるそうです。)

(御鳳輦(ごほうれん)・・・祭神である神武天皇の分身が乗る輦車で、粛々と渡御遊ばされるものだそうです。御神幸祭は、この御鳳輦を中心にした荘厳な祭りで、威勢よく御神輿を担ぐ普通の夏祭りとは違った性格のものだそうです。)

(和太鼓の神輿車)

(今年度から神賑行列に新たに加わった「アマテラス」のモニュメント)

(流鏑馬(やぶさめ)行列・・・鎌倉時代の衣装をまとっているそうです。)

(ミスシャンシャン馬・・・宮崎では大正の初め頃まで、新婚の夫婦が必ず鵜戸神宮へお参りをする風習があったと言われてるそうです。新婚夫婦は日南海岸の七浦七峠を越えてお参りし、疲れた花嫁を馬に乗せて、新郎が手綱をとって家路につくさまを模したものだそうです。馬をひいて歩く際に馬につけられた鈴が「シャンシャン」と鳴ることからこの名があるそうです。)
椰子の木をバックに馬に乗ったお嫁さんや武者の行列は、私にはちょっと新鮮でしたが、今までのお祭りでは見たことのない行列で江戸時代にタイムスリップした感じでた

神武さまとは、正式には宮崎神宮御神幸祭という名前で、由来は神武さまを自分のお宮として信仰してた町民が、お宮までの道のりが遠く、親しくお参りする事が出来ないため、「せめて一年に一度御神幸を願って一家をあげて心ゆくまで拝ませてください」という嘆願書を提出したのが始まりだそうです。
明治四十二年から今のような形式となったと言われてるそうです。

(御獅子・・・御獅子が舞う事で御鳳輦(ごほうれん)が渡御遊ばされる道を祓い清めるそうです。)

(御鳳輦(ごほうれん)・・・祭神である神武天皇の分身が乗る輦車で、粛々と渡御遊ばされるものだそうです。御神幸祭は、この御鳳輦を中心にした荘厳な祭りで、威勢よく御神輿を担ぐ普通の夏祭りとは違った性格のものだそうです。)

(和太鼓の神輿車)

(今年度から神賑行列に新たに加わった「アマテラス」のモニュメント)

(流鏑馬(やぶさめ)行列・・・鎌倉時代の衣装をまとっているそうです。)

(ミスシャンシャン馬・・・宮崎では大正の初め頃まで、新婚の夫婦が必ず鵜戸神宮へお参りをする風習があったと言われてるそうです。新婚夫婦は日南海岸の七浦七峠を越えてお参りし、疲れた花嫁を馬に乗せて、新郎が手綱をとって家路につくさまを模したものだそうです。馬をひいて歩く際に馬につけられた鈴が「シャンシャン」と鳴ることからこの名があるそうです。)