2011年06月20日
“雨安居(うあんご)”
『安居(あんご)とは元々、梵語の雨期を日本語に訳したものである。
本来の目的は雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐ事である。後に雨期のある夏に行う事から、夏安居(げあんご)、雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。
釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏教の伝来と共に中国や日本に伝わり、夏だけでなく冬も行うようになり(冬安居)、安居の回数が僧侶の仏教界での経験を指すようになり、その後の昇進の基準になるなど、非常に重要視された。
現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域から一歩も外へは出ずに修行に明け暮れる。』
(ウィキペディアより)
上記の説明の様に、その昔から現在に至るまで、仏教の僧侶達は、雨の時期には修行に明け暮れる慣わしがあるそうです。
確かにこの雨では外での活動は行えないので、建物の中(その昔は洞窟などで行われてたそうです)で行う瞑想にはもってこいの時期だと思います。
修行僧ではないですか、この雨の時期に瞑想を行うのも雨の時期の一つの過ごし方ではないかと思います。
いきなり瞑想と言われても、何をどうしたら良いか分からない方もいるかと思いますが、先ずは椅子でも床でも楽な姿勢で座りながら、背骨、首を真っ直ぐに保ち、肩の力を抜いて、目を軽く瞑りながら鼻で自然な呼吸を数分行ってみるだけでも十分だと思います。
無理に頭を空っぽにしようとするのではなく、ただ只管自然な呼吸を行いながら、余分な力を抜いて、頭に浮かんでは流れ消えていく思考、記憶、妄想などに気付くだけで十分だと思います。
数分、目の前のコトから自分を離して、背筋を伸ばしながらもゆったりと座り、呼吸を行うだけでも、心にゆとりが生まれるのではないかと思います。
梅雨で毎日雨続きですが、しとしとと降る雨のお陰で、無駄に動き回らず、しっとりと落ち着いたエネルギーで瞑想に入りやすい季節かもしれないなと思いました。
(タイのチェンマの雑貨屋さんの写真)
本来の目的は雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐ事である。後に雨期のある夏に行う事から、夏安居(げあんご)、雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。
釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏教の伝来と共に中国や日本に伝わり、夏だけでなく冬も行うようになり(冬安居)、安居の回数が僧侶の仏教界での経験を指すようになり、その後の昇進の基準になるなど、非常に重要視された。
現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域から一歩も外へは出ずに修行に明け暮れる。』
(ウィキペディアより)
上記の説明の様に、その昔から現在に至るまで、仏教の僧侶達は、雨の時期には修行に明け暮れる慣わしがあるそうです。
確かにこの雨では外での活動は行えないので、建物の中(その昔は洞窟などで行われてたそうです)で行う瞑想にはもってこいの時期だと思います。
修行僧ではないですか、この雨の時期に瞑想を行うのも雨の時期の一つの過ごし方ではないかと思います。
いきなり瞑想と言われても、何をどうしたら良いか分からない方もいるかと思いますが、先ずは椅子でも床でも楽な姿勢で座りながら、背骨、首を真っ直ぐに保ち、肩の力を抜いて、目を軽く瞑りながら鼻で自然な呼吸を数分行ってみるだけでも十分だと思います。
無理に頭を空っぽにしようとするのではなく、ただ只管自然な呼吸を行いながら、余分な力を抜いて、頭に浮かんでは流れ消えていく思考、記憶、妄想などに気付くだけで十分だと思います。
数分、目の前のコトから自分を離して、背筋を伸ばしながらもゆったりと座り、呼吸を行うだけでも、心にゆとりが生まれるのではないかと思います。
梅雨で毎日雨続きですが、しとしとと降る雨のお陰で、無駄に動き回らず、しっとりと落ち着いたエネルギーで瞑想に入りやすい季節かもしれないなと思いました。
(タイのチェンマの雑貨屋さんの写真)
Posted by マロン☆ at 12:19│Comments(0)
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