
2009年11月18日
サワディカ~♪
ご無沙汰してました
。
無事にタイで生息してます。
11/4~15まで、バンコクの北東にあるコンケーンという場所へ行き、10日間の瞑想コース(http://www.dhamma.org/en/schedules/schsuvanna.shtml)を受けてきました。
この瞑想コースは、ヴィパッサナー瞑想という瞑想法で、ミャンマーに古くから伝わる瞑想です。
どういう瞑想法かというと、ひたすら座る瞑想法で、朝、昼にベジタリアンの食事、夕方はお茶を飲み、その他は、トイレに行き、シャワーを浴び、洗濯する以外は、朝4時半から夜9時まで、ひたすら、瞑想ホールに座り、目を閉じて、身体を動かさずに座りながら、呼吸し、自分の身体の感覚を観察するという生活を10日間送りました。
そして、大切なことは、9日間は、一緒に参加してる他の人たちと話をしないで過ごすという決まりがあり、まさに、只管打座とはこのこと。
座っては、休憩で水を飲み、また座り、休憩でトイレに行きを繰り返して、身体を浄化し、そして、ひたすら座りながら、自分の身体の感覚を受け止める訓練を行うことで、心を浄化してきました。
何故、ひたすら座りながら、身体の感覚を観察する事で、心が浄化されるかというと、私たちの心に何か感情が思い浮かぶ時、それは身体の感覚を伴って浮かび上がるという性質があり、心に何かの感情が生まれた時に、それに反応することから、渇望、嫌悪という苦しみが生まれ
るとのこと。その為、身体に感じる感覚に反応せず、ただそれを観察し、受け止める訓練をすることで、同じように心に何か感情が生まれた時もそれを受け止める訓練をするという瞑想法です。
最初の2日、3日は、膝や足首が30分座っただけでも痛くて、直ぐに身体を動かしたくなりました。3日目位から、徐々に慣れてきて、痛みを観察出来るようになると、座りながら自分の身体の感覚を落ち着いて観察出来るようになってきました。しかし、時には、身体の痛みから逃れたいために、心にいろんな妄想が浮かび上がってきました。それでも、その状態を観察するようにつと勤め、ひたすら座り続けました。
この瞑想法は、お経を唱える訳でもなく、心に何かをイメージするわけでもなく、ただひたすら座り、自分の身体に起こる反応を観察することで、全ては、生まれては消えてなくなるという無常を自分の身体を通して経験することで、頭での理解だけでなく、身体で体験するという、とてもニュートラルでシンプルな瞑想法です。
しかし、ただ単に座るということがこれほど大変とは。。。という感じでした。
私は、普段ヨーガを行ってるので、長く姿勢を崩さずに座れましたが、ヨーガを行ってなかったら、もっときつかったと思います。
しかし、10日間終わってみると、心とはこんなに深い部分まであったのかと言う感覚が生まれて、今まで自分が行ってた瞑想は、心の表面を調えてたに過ぎなかった事を実感しました。
心は、表層の顕在意識、私たちが普段、あまり意識することの出来ない潜在意識、その間に中間意識といくつもの層があり、私たち普段、無意識に行う行動は、潜在意識にインプットされた癖が行っています。
この癖を取り除かない限り、私たちは、無意識に自分や他人を苦しめる行動を行ってしまうのです。
ヴィパッサナー瞑想は、この心の奥底にある心の癖を取り除き、心を浄化し、生きとし生けるものが幸せな人生を送る方法を与えてくれる瞑想法です。
日本では、京都で行ってます。(http://www.jp.dhamma.org/index.php?L=12)
ではでは、また、後日、ブログUPしますね♪

無事にタイで生息してます。
11/4~15まで、バンコクの北東にあるコンケーンという場所へ行き、10日間の瞑想コース(http://www.dhamma.org/en/schedules/schsuvanna.shtml)を受けてきました。
この瞑想コースは、ヴィパッサナー瞑想という瞑想法で、ミャンマーに古くから伝わる瞑想です。
どういう瞑想法かというと、ひたすら座る瞑想法で、朝、昼にベジタリアンの食事、夕方はお茶を飲み、その他は、トイレに行き、シャワーを浴び、洗濯する以外は、朝4時半から夜9時まで、ひたすら、瞑想ホールに座り、目を閉じて、身体を動かさずに座りながら、呼吸し、自分の身体の感覚を観察するという生活を10日間送りました。
そして、大切なことは、9日間は、一緒に参加してる他の人たちと話をしないで過ごすという決まりがあり、まさに、只管打座とはこのこと。
座っては、休憩で水を飲み、また座り、休憩でトイレに行きを繰り返して、身体を浄化し、そして、ひたすら座りながら、自分の身体の感覚を受け止める訓練を行うことで、心を浄化してきました。
何故、ひたすら座りながら、身体の感覚を観察する事で、心が浄化されるかというと、私たちの心に何か感情が思い浮かぶ時、それは身体の感覚を伴って浮かび上がるという性質があり、心に何かの感情が生まれた時に、それに反応することから、渇望、嫌悪という苦しみが生まれ
るとのこと。その為、身体に感じる感覚に反応せず、ただそれを観察し、受け止める訓練をすることで、同じように心に何か感情が生まれた時もそれを受け止める訓練をするという瞑想法です。
最初の2日、3日は、膝や足首が30分座っただけでも痛くて、直ぐに身体を動かしたくなりました。3日目位から、徐々に慣れてきて、痛みを観察出来るようになると、座りながら自分の身体の感覚を落ち着いて観察出来るようになってきました。しかし、時には、身体の痛みから逃れたいために、心にいろんな妄想が浮かび上がってきました。それでも、その状態を観察するようにつと勤め、ひたすら座り続けました。
この瞑想法は、お経を唱える訳でもなく、心に何かをイメージするわけでもなく、ただひたすら座り、自分の身体に起こる反応を観察することで、全ては、生まれては消えてなくなるという無常を自分の身体を通して経験することで、頭での理解だけでなく、身体で体験するという、とてもニュートラルでシンプルな瞑想法です。
しかし、ただ単に座るということがこれほど大変とは。。。という感じでした。
私は、普段ヨーガを行ってるので、長く姿勢を崩さずに座れましたが、ヨーガを行ってなかったら、もっときつかったと思います。
しかし、10日間終わってみると、心とはこんなに深い部分まであったのかと言う感覚が生まれて、今まで自分が行ってた瞑想は、心の表面を調えてたに過ぎなかった事を実感しました。
心は、表層の顕在意識、私たちが普段、あまり意識することの出来ない潜在意識、その間に中間意識といくつもの層があり、私たち普段、無意識に行う行動は、潜在意識にインプットされた癖が行っています。
この癖を取り除かない限り、私たちは、無意識に自分や他人を苦しめる行動を行ってしまうのです。
ヴィパッサナー瞑想は、この心の奥底にある心の癖を取り除き、心を浄化し、生きとし生けるものが幸せな人生を送る方法を与えてくれる瞑想法です。
日本では、京都で行ってます。(http://www.jp.dhamma.org/index.php?L=12)
ではでは、また、後日、ブログUPしますね♪