2010年12月01日
前回の続き・・・
前回書いたcitta vrtti nirodhah(心を一時的に停止すること)が必要な訳・・・・(※相方宏先生のヨーガ・スートラの心理モデルのWS講義内容より転載させて頂いてます)
それは、ヨーガにおいて、我々の心が24時間活動している状態は、すなわちDuhkha(苦痛と苦悩)に他ならないという現状認識があるからである。
通常、インド哲学ではDuhkha Traya(三苦)というコンセプトでこの現状認識をカバーしている。
これが基本コンセプト。
Duhkhaとcittaはヨーガにおける心の用語で、通常私達が「心」と言ってる場合はcittaを表します。
Duhkhaはいわゆる「苦」。息が詰まってる様な状態。
逆にすごく楽しいことをSukkaという。
Duhkhaは、我々の通常の状態だという認識がインド哲学の中にはある。
Trayaとは三つとういう意味。
では、実際にそのDuhkha Traya(三苦)とは・・・?
①Adhyatmika(心身問題)
皮膚で囲われているところの空間にいる自分の中に起きて常に私をさいなむモノ。
通常の怪我や病気によって痛い・辛い・苦しい、あるいは心が悩む・迷う・苦しむ・傷つくといった諸々のこと全てこの皮膚の中で起こる全ての嫌なこと、辛いこと、苦しいこと、しんどいこと、どうしようもないこと。要するに24時間そうなのだと思える苦。たまにちょと楽しいことがあって、あとはずっとこの苦。
②Adhybhautika(関係性の問題)
皮膚で囲われている自分と皮膚で囲われている他人との間で起こる問題。
いわゆる対人関係で起きる問題。
人間に限らず、他の生き物、動物も含む、皮膚の中と皮膚の外で起きる関係性・衝突・対立で起こる問題。
犬に噛まれる、蜂に刺される、蚊に喰われるなど。
自分が外から加えられる危害によって自分が苦しんだり悩んだりする。
他人の言葉で傷つけられるとか、他人に直接暴力をふるわれるなどを含む。
③Adhydeivika (突発性の問題)
直接因果関係が見えない、なんで私はこんな目に遭わなければならないの?という苦。
①は、多かれ少なかれ自分に原因がある。自分が病気をしたり悩んだりするのは、自分の生活リズムの問題であったり、生活態度の問題であったりする。
②は、直接見るコトが出来る。自分が苦しんだり傷ついたりする原因が知覚できる状態にある。
③は、直接因果関係が見えなくて突然降りかかってくる。地震に遭うとか、乗っていた飛行機が落ちる。直接自分には責任がなくても、間接的にあるかもしれない苦しみ。もしかしたら、誰かがどこかで呪いをかけているのかもしれない。
コンセプトとしては、このDuhkha Traya(三苦)が我々の日常生活の苦痛や苦悩の種類をカバーしている。
結局その苦痛や苦悩はcittaがvrttiしているから。
citta(心)がDuhkha Traya(三苦)に対して、自分自身に原因があったり外に原因があると考えて不必要に動揺してしまうから、自分に苦しみがある。
では、それ(citta vrtti)を止めてしまえば(nirodhah)苦しみも消えるのでは?という仮説が成り立つ。
なぜならば熟睡してるときは苦しくないから。
我々はいつも早く寝たい。寝てるときが一番幸せ。寝ると夢を見ている間は確かに心が活動しているが、熟睡しているときは完全に静まってPeaceである。
それを自分で意識して意図的にその状態を自由自在に作るようなレベルのセルフコントロール能力を身につけることがヨーガの方向性。
言ってみれば究極のセルフコントロールである。
自分の意思で熟睡状態を作ったり、自分の意思で熟睡状態から覚めるようなセルフコントロール能力を獲得しようというのがヨーガの活動であり、究極のチャレンジである。とのこと。
くすなみ木ヨーガ・スタジオで行ってるトラデショナル・ヨーガでは、
上記の方向を目指していく方向で組み立てられてます。
相方先生のこのヨーガ・スートラの心理モデルのWSの講義内容を書き起こしたものをスタジオに置いてますので、興味ある方は読んでみてください
。

それは、ヨーガにおいて、我々の心が24時間活動している状態は、すなわちDuhkha(苦痛と苦悩)に他ならないという現状認識があるからである。
通常、インド哲学ではDuhkha Traya(三苦)というコンセプトでこの現状認識をカバーしている。
これが基本コンセプト。
Duhkhaとcittaはヨーガにおける心の用語で、通常私達が「心」と言ってる場合はcittaを表します。
Duhkhaはいわゆる「苦」。息が詰まってる様な状態。
逆にすごく楽しいことをSukkaという。
Duhkhaは、我々の通常の状態だという認識がインド哲学の中にはある。
Trayaとは三つとういう意味。
では、実際にそのDuhkha Traya(三苦)とは・・・?
①Adhyatmika(心身問題)
皮膚で囲われているところの空間にいる自分の中に起きて常に私をさいなむモノ。
通常の怪我や病気によって痛い・辛い・苦しい、あるいは心が悩む・迷う・苦しむ・傷つくといった諸々のこと全てこの皮膚の中で起こる全ての嫌なこと、辛いこと、苦しいこと、しんどいこと、どうしようもないこと。要するに24時間そうなのだと思える苦。たまにちょと楽しいことがあって、あとはずっとこの苦。
②Adhybhautika(関係性の問題)
皮膚で囲われている自分と皮膚で囲われている他人との間で起こる問題。
いわゆる対人関係で起きる問題。
人間に限らず、他の生き物、動物も含む、皮膚の中と皮膚の外で起きる関係性・衝突・対立で起こる問題。
犬に噛まれる、蜂に刺される、蚊に喰われるなど。
自分が外から加えられる危害によって自分が苦しんだり悩んだりする。
他人の言葉で傷つけられるとか、他人に直接暴力をふるわれるなどを含む。
③Adhydeivika (突発性の問題)
直接因果関係が見えない、なんで私はこんな目に遭わなければならないの?という苦。
①は、多かれ少なかれ自分に原因がある。自分が病気をしたり悩んだりするのは、自分の生活リズムの問題であったり、生活態度の問題であったりする。
②は、直接見るコトが出来る。自分が苦しんだり傷ついたりする原因が知覚できる状態にある。
③は、直接因果関係が見えなくて突然降りかかってくる。地震に遭うとか、乗っていた飛行機が落ちる。直接自分には責任がなくても、間接的にあるかもしれない苦しみ。もしかしたら、誰かがどこかで呪いをかけているのかもしれない。
コンセプトとしては、このDuhkha Traya(三苦)が我々の日常生活の苦痛や苦悩の種類をカバーしている。
結局その苦痛や苦悩はcittaがvrttiしているから。
citta(心)がDuhkha Traya(三苦)に対して、自分自身に原因があったり外に原因があると考えて不必要に動揺してしまうから、自分に苦しみがある。
では、それ(citta vrtti)を止めてしまえば(nirodhah)苦しみも消えるのでは?という仮説が成り立つ。
なぜならば熟睡してるときは苦しくないから。
我々はいつも早く寝たい。寝てるときが一番幸せ。寝ると夢を見ている間は確かに心が活動しているが、熟睡しているときは完全に静まってPeaceである。
それを自分で意識して意図的にその状態を自由自在に作るようなレベルのセルフコントロール能力を身につけることがヨーガの方向性。
言ってみれば究極のセルフコントロールである。
自分の意思で熟睡状態を作ったり、自分の意思で熟睡状態から覚めるようなセルフコントロール能力を獲得しようというのがヨーガの活動であり、究極のチャレンジである。とのこと。
くすなみ木ヨーガ・スタジオで行ってるトラデショナル・ヨーガでは、

相方先生のこのヨーガ・スートラの心理モデルのWSの講義内容を書き起こしたものをスタジオに置いてますので、興味ある方は読んでみてください


Posted by マロン☆ at 18:39│Comments(0)
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